筑後川は、阿蘇の外輪山から有明海まで続く、九州第一の河川である。流域に広がる筑紫平野は典型的な二毛作地帯で、米の裏作に麦・大根・菜種・レンゲ草などが作付けされている。山汐菜も、その裏作のひとつとして栽培されてきた。
見た目は野沢菜や広島菜のようだが、山汐菜は食べると鼻にツンと抜ける独特の辛味がある。この山汐菜を塩で浅漬けにした「山汐漬」は、日常的に家庭で漬けられるほか、スーパーなどでも販売されている。収穫は10月から始まり、翌年3月ごろまで楽しめる。
各地で伝え育まれてきた漬物を訪ね歩く
取材時期:2014年2月
九州の漬物といえば高菜漬けを思い浮かべるが、三井郡北野町(現在は合併し久留米市)では、高菜に似た「山汐菜」の浅漬けが親しまれている。山汐菜は、筑後川流域の特定の地域でしかうまく栽培できないそうだ。また、福岡市のぬか床販売専門店「千束(ちづか)」を訪ねて、ぬか床料理のランチをいただいたあと、江戸時代から受け継がれているというぬか床について話を伺った。
筑後川は、阿蘇の外輪山から有明海まで続く、九州第一の河川である。流域に広がる筑紫平野は典型的な二毛作地帯で、米の裏作に麦・大根・菜種・レンゲ草などが作付けされている。山汐菜も、その裏作のひとつとして栽培されてきた。
見た目は野沢菜や広島菜のようだが、山汐菜は食べると鼻にツンと抜ける独特の辛味がある。この山汐菜を塩で浅漬けにした「山汐漬」は、日常的に家庭で漬けられるほか、スーパーなどでも販売されている。収穫は10月から始まり、翌年3月ごろまで楽しめる。
山汐菜の歴史は古く、享保10年(1725年)、筑後川上流で山崩れが起こり、濁り水とともに種が運ばれ、筑後川の中洲に自生したのが始まりだという。筑後地方では山崩れや川が氾濫することを「やましおが起きた」と言うことから、山汐菜と名づけられたそうだ。以来、福岡県久留米市北野町鳥巣地区を発祥地として栽培され、昭和45年に一夜漬けの加工が始まった。
「霜が降りて味が濃くなるので、2月下旬の今ごろがいちばんおいしいですね。収穫するときの葉の色が、浅漬けにした翌日は、もっと濃い緑色になります」
そう話すのは、JAみいやましお加工部会会長の黒岩實さん。10月ごろから収穫が始まるが、そのころと比べると、辛味やうま味が違うそうだ。
筑後川は日本三大暴れ川のひとつに数えられ、江戸時代から洪水対策の工事が続けられてきた。蛇行している川をまっすぐにしたため、堤防の両側に砂質土の畑が続き、ときどき「やましおが起きて(川が氾濫して)」土が肥沃になるため、野菜がよく育つといわれている。
「山汐菜ができるのは、流域の1〜3キロの範囲です。その外側になると、繊維質が強くなったり、芯が硬くなってしまうんです」
地元の郷土史によると、大城橋より上流では堆積土の粒子が粗く、小森野橋より下流では堆積土の粒子が細か過ぎて、シャキシャキした食感の山汐菜が育たないらしい。
「昔はお米の裏作だったので、稲刈り後の10月に種を蒔いて、2〜3月に霜が降りてから収穫しました。今は8月下旬から順に種を蒔きますが、そのぶん香りが足りない気がしますね」
約1〜2か月で40センチの高さに生育したころに収穫し、虫食いなどがある葉が混ざらないように、一枚ずつ丁寧に確認して、40㎝ほどの長さに切り揃える。収穫したものはすべてJAみいの加工場に運ばれて、その日のうちに漬け込まれる。
やましお漬加工場では、10月から3月までの期間限定商品として、1日に300〜400キロの山汐漬を製造している。
原料は、山汐菜、唐辛子、塩、水のみで、昔ながらの製法を守り、防腐剤や着色剤などを含まない無添加の漬物だ。
「朝に収穫した山汐菜を、その日のうちに漬け込みます。ひとつの槽で500kgまで漬けることができ、4〜5%の塩分で12時間ほど漬けたあと、水洗いしてから、薄い塩水を加えて袋詰めします」
山汐漬の食べ方は、短冊切りにしたり、みじん切りにして、ポン酢や醤油をかけるのがいいそうだ。塩気を軽く水洗いしたあと、まな板の上において、5〜10回くらいもむと、独特のピリ辛感が増すという。葉っぱのところよりも、茎のほうが歯ごたえがあって、甘味やうま味が強いようだ。
久留米市から福岡市に移動して、ぬか床販売専門店「千束(ちづか)」を訪ねた。1階がぬか床販売、2階が食堂の小さなお店だが、開店と同時に、名物のぬか床料理を味わうお客さんで満席になる。メニューは「ぬかみそ煮定食」のみで、魚か肉か選べるようになっている。そのほかに、ぬか漬けや日替わりの小鉢が付く。
「ぬか漬けは日本のどの家庭にもあると思いますが、ぬかみそ煮は珍しいのではないでしょうか?両親が北九州の小倉出身なので、母がよく炊いてくれました。うちではサバやイワシのほかに、豚肉のぬかみそ煮も作っています。これがまたおいしいんですよ」そう話すのは、店主の下田敏子さん。
小倉では「ぬかみそ炊き」と呼ばれていて、身近な青魚であるサバやイワシなどを長期保存するためにぬか床を入れて煮る、北九州地方のおふくろの味だ。
千束のぬか床は、江戸初期(1632年ごろ)に豊前・小倉藩主の小笠原忠政公が、前任地の信州・松本から「保存食の妙法」として伝えたものが始まりとされている。店名の由来は、小倉藩の支藩である千束藩からきているそうだ。
下田さんの母・福永壽枝さんの実家は代々小倉藩の藩士で、昭和46年頃から昔ながらの家庭料理を教え始めた。その一方、遠い祖先、祖母、母と伝えられてきたぬか床や、料理を教えていた母の意志を受け継ぐ形で、下田さんが今の店を開いた。
「我が家のぬか床は、代々受け継がれてきました。とくに自分の娘を嫁に出すときには、家紋を入れた朱塗りの木桶にぬか床を移して、嫁入り道具の一つとして持たせました。うちで販売しているぬか床も、そういう意味では私の娘と同じです。でも、本当にいい味になるのは、嫁ぎ先のお客様しだいなんです」
ぬか床に入っているのは、米ぬか、塩、水、唐辛子、昆布、山椒の実、柚子の皮のみ。米ぬかは炒らずに使うのが千束流だ。
「精米して3日以内の無農薬の生ぬかは、そのまま食べると『きな粉』みたいにおいしいんですよ」
材料の米ぬかを食べさせてもらったら、たしかにその通り。ぬか床の原料となる生ぬかは、玄米の胚芽部分で、ビタミンB1やミネラルなどが豊富に含まれている部分でもある。生ぬかは、ぬか床の命といってもいいくらい大事なのだ。
下田さんは、ぬか床を販売したあとも「ぬか床110番」でサポートしている。全国から毎日電話などで相談が寄せられるほか、店に来て診断を受ける人も多い。相談内容を記録した「ぬか床診断書」は1000件を超えたそうだ。いちばん多い質問は「毎日混ぜないといけないんですか?」だという。
「乳酸菌の発酵を抑えて調整する意味があるので、基本的には空気を入れたほうがいいんですが、少量のぬか床は野菜を出し入れするだけで十分です。混ぜる場合も一日一回が基本で、ぬか床の天と地をひっくり返して、真ん中は混ぜずにそのままでかまいません」
野菜から出た水でぬか床が軟らかくなったら、その水を取り除くのではなく「たしぬか」を加えて硬さを調整するそうだ。
「基本的には、野菜を洗って漬ければ大丈夫ですが、大切なのは野菜のアクやえぐみを取ってから漬けることです。そのまま漬けていいもの、塩でもんでから漬けるもの、お米のとぎ汁でゆでてから漬けるものがあります。あとは切り方や季節によって、漬ける時間が変わりますね」
ぬか漬けは、ぬか床から出してすぐがいちばんおいしいそうだ。
下田さんは「出して、洗って、すぐかじるんですよ」と笑う。食べる時間帯から逆算して、野菜を適度な大きさに切って、ちょうどよく漬かったころに食べられるように配慮する。実は、ぬか漬けのいちばん難しいところは、そこにあるのかもしれない。
※取材記事は漬物文化の啓発活動であり、販売目的ではございません。
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※掲載内容は取材時の情報です。