瓜が日本に渡来したのは古く、縄文時代の初めといわれている。マクワウリは2世紀ごろに美濃国(岐阜県南部)真桑村(現在の本巣市)で作られたのが始まりで、果皮が緑色のもの、白色のもの、黄色のものなどさまざまな品種がある。
「この妻鹿メロン(メガメロン)は、自家用に作られきたものです。熟してから収穫すると2日しか持たないので、地域内でしか消費できなかったんです」そう話すのは「ひょうごの在来種保存会」代表の山根成人さん。
各地で伝え育まれてきた漬物を訪ね歩く
取材時期:2011年8月
江戸野菜、京野菜、加賀野菜など、全国各地の伝統野菜が知られるようになってきた。それぞれの農家に代々伝えられてきた在来種は、同じ地域でも集落によって違う品種があるほど。兵庫県も例外ではなく、明石から姫路にかけてさまざまな瓜があるという。「ひょうごの在来種保存会」の案内で、漬物にして食べるドイツ瓜の産地を訪ねた。
瓜が日本に渡来したのは古く、縄文時代の初めといわれている。マクワウリは2世紀ごろに美濃国(岐阜県南部)真桑村(現在の本巣市)で作られたのが始まりで、果皮が緑色のもの、白色のもの、黄色のものなどさまざまな品種がある。
「この妻鹿メロン(メガメロン)は、自家用に作られきたものです。熟してから収穫すると2日しか持たないので、地域内でしか消費できなかったんです」そう話すのは「ひょうごの在来種保存会」代表の山根成人さん。
妻鹿メロンは、姫路駅から南に5kmほど離れた妻鹿地域で作られてきた。来歴は不明だが、1897年ごろからペッチンウリという名前で栽培が始まり、1930年に妻鹿メロンと命名されたらしい。熟しても果皮が黄色くならず、肉質は硬く、縦溝にひび割れを生じて、甘みが強いのが特徴。
妻鹿メロンを口にすると、たしかにマクワウリよりも甘味が強く、香りがいい。メロンよりも歯応えがあって、上品な感じがする。もうひとつ、地元で人気なのが「網干メロン(アボシメロン)」で、日本古来のマクワウリと洋種メロンとの交雑で生まれたといわれている。大正年間(1921年)より栽培され、1927年に命名され、1935年に兵庫県立疏菜採種場でさらに改良された甘い露地メロン。網干メロンと比べて妻鹿メロンは雨に弱く、病気になりやすいそうだ。
「昔から、播州での瓜の人気は根強いんです。スイカの在来種はなくなったけど、瓜はたくさん残っています。メロンは嫌いだけど瓜は食べるという人も多いんですよ」
お盆にマクワウリをお供えする地域は多いが、兵庫県播磨地域では、加古川メロン、いなみ野メロン、深志野メロン、網干メロン、妻鹿メロンなど在来の瓜が欠かせない。
山根さんが代表を務める「ひょうごの在来種保存会」の会員は、現在730人ほど。消えつつある県の在来種の野菜や穀物の保存を目的として、2003年に発足した。種子を保存するといっても、シードバンク(種子銀行)のように単に種を冷凍保存するわけではない。自家採種をしていると、必ずその土地に合った種に進化していく。地域や家族で受け継がれてきた名もない作物を見つけ出し、種の保存のほかに、種を採り続けている人を応援しているのだ。
「保存会をやっているのは、やっぱり人に関心があるからです。一部の株を収穫しないで種のために残すのは、手間もかかるし大変です。それでも続けているというところに魅力があるんですね」
市販の種の多くは、特徴が異なる品種を交配させたF-1と呼ばれる一代交配種。在来種と比べて病気に強かったり、発芽時期が一定だったり、作物の大きさが均一に育ったりするので、管理しやすい特徴がある。ところがF-1から種を採ると、予想もしなかったような形質のものが出来たりするので、同じものを作る為には毎回同じ種苗会社から買わなければならなくなる。味・香り・栄養といった野菜の特徴より、全国へ流通販売するための作りやすさが優先されている。
在来種を作り続けているのは、手前味噌ならぬ手前野菜、つまり「私の野菜」への愛情なのだ。山根さんによると、昔は自分の野菜の種を人にあげるのが自慢だったが、今は種の利権問題が表面化して勝手に登録されることもあり、味のいい野菜が広がりにくくなっているそうだ。
たつの市御津町には、26年ほど前に愛知県から導入された「黒門青大縞瓜」という漬物用の瓜がある。西播地域の瀬戸内海沿岸地域は、江戸時代から伝統的に瓜の栽培が行なわれていたことに加え、御津町干拓地の砂地が栽培に適していたようだ。
「ほかに、加古川を中心とした東播磨地方で親しまれてきた『明石ペッチン』という瓜があります。軟らかくてみずみずしく、浅漬け・ぬか漬け・奈良漬けにします」
果肉を爪でたたいてペッチンという音になったら収穫時期だとか、収穫するときにペチンと折れるくらいがいいとか、果皮がビロードのように滑らかなので「velveteen(別珍、綿ビロード)」から名付けられたという説がある。
ペッチン瓜と同じく漬物用として丹波篠山で作られているのが「ドイツ瓜」である。名前の由来は定かではないが、昔は珍しいものにオランダとかドイツといった外国の名前を付けることがあった。
同じような姿形をした瓜は西播磨一帯で7か所くらい作られているが、ほかの地域は熟して甘くなるまで収穫しない。もちろん、熟したドイツ瓜も甘くておいしいというのだが……。
凹凸のある模様がカエルの背中に似ているのが特徴。小型で皮が薄くて肉質が詰まっているので浅漬けに向き、歯切れがよくて、ほんのり甘みがあり、食味がいい。模様が似た品種に福井の伝統野菜「かわず(蛙)瓜」があるが、ドイツ瓜と比べると凹凸が少ない。
熟してから食べる甘い瓜も、夏の終わりごろには完熟するまで育たない。それは「こうこ瓜」と呼んで、家庭で塩漬けやぬか漬けにしているそうだ。
篠山でドイツ瓜を栽培している酒井菊代さんに漬物の作り方を教えてもらった。酒井さんは「丹南有機農業実践会」の代表で36年前から有機農業に取り組んできた。
「ドイツ瓜は、主に塩漬けにして食べます。朝刻んで、浅漬けの素や塩をまぶしてポリ袋で冷蔵庫に入れておくと、お昼には食べられるので簡単なんです。大葉を入れるとさっぱりしておいしいですよ」
きれいに洗ったあと、外皮はそのままで半分に割り、中にある種をスプーンで取り除き、好みの厚さに切ってから漬ける。酒井さんは外皮の出っ張った部分をピーラーで少し削っていた。
2時間くらい塩漬けにしたものと、昆布と大葉とニンジンを加えて12時間くらい漬けたもの、インゲンなどを加えて甘酢漬けにしたものの3種類を食べさせてもらった。ポリポリした歯触りが残っていて、どれも優しい味わいの漬物である。
「時間があればぬか漬けに、もっと余裕があれば粕漬けにします。ぬか漬けにする場合は、ドイツ瓜から出た水分でぬか床が痛んでしまうので、切ったあとに半日くらい置いて水分を抜くか、ドイツ瓜専用のぬか床を用意します。ぬかの香りがしておいしいので、お客さんが来たときに作ります」
山根さんは「塩をまぶしてポリ袋に入れるように、ぬかをまぶして置いておくだけでも、ぬかの浅漬けができるかもしれない」とつぶやく。ドイツ瓜の新しい食べ方として、いつか篠山の特産品になるかもしれない。
※取材記事は漬物文化の啓発活動であり、販売目的ではございません。
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※掲載内容は取材時の情報です。