「練馬大根」――その名を聞いたことのある人は多いだろう。しかし、その生産が一時途絶えていたことをご存じだろうか。練馬大根は、江戸時代に栽培が始まったとされており、明治中期から昭和初期にかけて、東京の市街地拡大や人口増加にともない生産量が増大。その名は全国にもひろがった。
白首大根の一種で、細長く水分が少ないことから、たくあん漬けに向いており、多くの農家や漬物店で作られた。特に戦中には、兵隊に持たせる保存食として大量に生産されたという。
しかし昭和8年に起きた干ばつや、病気の発生に加え、食生活の変化や都市化による農地の減少、さらにその長さと、先が少し膨らんだ形状から収穫に手間がかかるなどの要因もあり、昭和30年頃から練馬大根の栽培は減少の一途を辿り、いつしかその名前だけを残して出回ることはほとんどなくなった。
そこで1989年(平成元年)、「歴史ある練馬大根と、練馬大根のたくあん漬けを練馬の地に残していきたい」と、練馬区とJA東京あおば、農家や漬物業者などの地元生産者が協力し「練馬大根育成事業」を発足。区やJAが種や生産数などを管理し、農家や漬物業者に生産を依頼。そして生産物を区やJAが買い取るというシステムのもと、練馬大根保存の取り組みを開始した。 以降、生産量は年々増加し、たくあん漬けも「練馬たくあん」として、農家と漬物業者が協力して生産している。
発足当初、8軒の農家でスタートした同事業も、現在では21軒が参加(2019年時点)。2019年は約1万4000本の練馬大根が生産され、そのうち約5000本は練馬たくあんに加工、残りは生大根として、練馬区内の直売所などで販売され、区外に流通することはほとんどないという。