このように、職人の手間と長い時間をかけて作られる奈良漬だが、この日仕込まれていたのは「新漬瓜」。はじめて耳にする名前だったが、それもそのはず。森家に代々伝わってきた漬物だという。
「新漬瓜は、8月のお盆にご先祖様をお迎えするときに、『今年取れた瓜と、今年の酒粕で漬けて、今年はこんな味でできましたよ』とお供えするために、明治時代に二代目が作り始めたものです。『今年も美味しく仕上がりますように』という願いも込めてね」
内々に作ってきたものが次第に口コミで広まり、今では期間限定商品として販売している。季節柄、お中元によく使われているそうだ。
この新漬瓜は、土用まで置かない未熟成の新粕を使用し、短期間で漬け込まれる。通常の奈良漬に使う熟成された酒粕と比べると、その差は歴然。色も白く、酒の香りも強い。味も酒ならではの苦みが強くとんがっていて、まさに“若さ”を感じる味わい。「新漬瓜は、未熟成の味を楽しむのが醍醐味。酒粕は土用を過ぎるとどんどん熟成されて味が変わってしまうので、この味を楽しめる期間はとても短い」と森さんは言う。
その年の初夏から漬け込み始め、1ヶ月ほどで完成する新漬瓜は、通常の奈良漬に比べて漬け替えの回数も少ない。未熟成の酒粕は繊細なため、あまり漬け替えると瓜の香りなどのバランスが崩れてしまうからだそう。それだけに、期間が短いとはいえ、気の抜けない作業が求められる。
お話を伺った森茂さんは、現在66歳。大学を卒業し素材メーカーで商品開発などに携わった後、26歳で森奈良漬店に入社。四代目として伝統の味を守り続けてきた。150年にもわたり代々受け継がれてきた奈良漬への思いは、五代目となる娘の麻理子さんに引き継がれている。
「この仕事は年に一回の漬け込みだから、10年やってもまだ未熟なんだと、よく言われました。瓜も酒粕も、その年の天候によって状態が違う。年に一回しか経験できないことがたくさんあるから、それは10回しかやっていないことになるでしょう」と茂さん。
毎年同じ作業と工程を経れば、必ず同じものができるわけではないのが、この仕事の難しさ。茂さんの父親である三代目は、毎日の天気予報はもちろん、長期予報もチェックし、その年の原材料の状態を予測しながら、漬け方を日々考えていたという。
「親父が言っていたのは、『手間暇をかけても良いものをつくれ』ということ。『人は一度食べて美味しいと思っても、次食べるときに同じ味のレベルだったら、美味しいと言わない。だからずっと人を喜ばせるためには、常にさらに上のものを作れ』とよく言われました。奈良漬は、日本を代表する伝統的な漬物であり、食文化を語る上でも重要なものだと考えています。だからこそ、古くから伝わる伝統的な形で作り続けていきたい。そして私たちが作ったものが、日本だけでなく、外国の方にも美味しいと喜ばれて、『買って良かった、また来よう』と思ってもらえるように、一生懸命やるだけですね」
伝統を守ることは、その味を守ること。しかし、食べてくれる人々が喜び、また食べたいと思うこと、それがなにより、伝統をつないでいく上で大切なことなのだ。森家に脈々と受け継がれてきた奈良漬への思いは、50年、100年先と、日本の文化と伝統をつなげていくことだろう。