全国各地で伝統野菜が見直されるようになり、長野県でも平成19年度から「信州伝統野菜認定制度」を創設。そのなかにある野沢菜・稲核菜・羽広(はびろ)菜(な)はかつて「長野の三大漬け菜」として親しまれていたが、昭和30年代から野沢菜の栽培が普及し、稲核菜や羽広菜はそれぞれの地域で細々と作られるだけになった。
「松本市を中心にした広い地域で、戦後までは稲核菜が人気でした。野沢菜のほうが背丈も大きく、同じ広さの畑で3割以上多く収穫できるので、しだいに野沢菜に変わっていったようです。でも稲核菜は葉とカブの両方が利用できて、味がいいんですよ」
そう話すのは、道の駅「風穴(ふうけつ)の里」支配人の川上一治さん。稲核菜生産者組合の副組合長でもあり、稲核菜の価値を見直して復活・普及を進めている。
長野県松本市安曇稲核(旧南安曇郡安曇村稲核)は、野麦街道の重要な宿場街として発展。およそ300年前に、飛騨から野麦峠を経て稲核に種が運ばれたという。その後、昼夜の気温差がある土地に合った漬け菜として育てられて定着したようだ。
飛騨の赤かぶと姿は似ているが、野沢菜や羽広菜と同じグループとの研究結果がある。また木曽の「すんき漬け」に使われる赤かぶ(王滝、開田、三岳黒瀬、細島、吉野、芦島)とも姿が似ている。木曽では、葉茎をすんき漬けに、カブを甘酢漬けにする。